前回の【日本語ラップの歴史】vol.3ではDragon Ashを中心としたHIPHOPやラップの日本全国への大きな波及や、新しいグループの登場などについて軽く触れてきたが、日本語ラップ業界はそこから今現在まで、順調に仲良しこよしで進化した訳ではない。
Dragon Ash結成、キックザカンクルー結成と同じ頃、”考え方の相違”という理由でキングギドラが活動停止をしたのは前回も少しだけ書いたが、
市場規模が増えた=HIPHOPやラップという文化に対して、各自の観念的な主観が増加したことから、アメリカほどではないにしろ日本語ラップ業界でも多数のビーフ事件が生まれることになる。
リスナー側の憶測であるだけの場合もあったが、実際に不仲を超えてビーフ事件に発展しているケースなど様々な歴史を経て、2017年のようにDISはやっても握手が出来るフリースタイルダンジョンのような純粋にスキル比べが出来る舞台が整えられたという事を忘れてはいけない。
っと、個人的には思う。
あまりにもマイナーな部分にまで触れてしまうと収拾が付かないので、ここでは代表的なものだけを紹介することにする。
それでもかなりの数になる。はずだ。
日本人ラッパー同士のビーフと楽曲など
ビーフについてはHIPHOPスラングの1つになるので、これはまた近いうちに用語集的なまとめで紹介するので、それまで待って欲しい。
まあ端的に言ってしまえば、ラッパー同士の意見の相違からお互いを”音源”でDISし合うという事態にまで発展した事件の事だと考えてくれればOKだ。
ZEEBRA、その他多数→KJ:2002年
引用元:https://matome.naver.jp
前回も紹介はしたが、Dragon Ashが発表した楽曲である『Summer Tribe』に対してはモデルになったであろうZEEBRA本人を含めて、多数のラッパーがDISをするまでに発展した。
通常、ビーフとなればアンサーを出したりしつつ最終的に和解することもあるが、このKJに対するDIS事件に関してはかなり一方的である。リスナー側から見れば釈明する方法がなかったと捉えるしかないというのが本音になってしまう。
またKJ自身もSummer Tribeに関してはZEBRAへのRESPECTから行った旨の発言をインタビューでしており、ZEEBRAは2008年に出した自伝の中で『わだかまりはなくなっている』事を語っている。
しかし、ZEEBRAは和解を視野に入れた発言をしている一方で
KJは『Grateful Daysはやらなければ良かった』という発言があるなど両者の溝は未だに埋まっていない。
関連するDIS音源まとめ
キングギドラ:アルバム『最終兵器』から『公開処刑』:2002年
DABO(Feat. Macka-Chin):アルバム『HITMAN』のスキット『授賞式』:2002年
DABOvs漢a.k.a GAMI :2002年~2012年
引用元:https://item.rakuten.co.jp
DABOがKJに対してDISをしたアルバム『HITMAN』のジャケ写にDABO自身がモデルガンを構えているショットがあった事が原因と言われているビーフ。
HIPHOP業界の中でも特に大物同士のビーフとして有名なこの両者のDIS合戦はこの後10年もの間続くことになる。
発端としては2002年のB-BOY PARKのMCBATTLEで優勝した漢が発足したMS CRU名義で発表したアルバム『帝都崩壊』の中でDABOの代表曲である『拍手喝采』を引用し
特につまらんギャグラップに拍手喝采
とDISしている。
漢の主張としては、日本のHIPHOP文化に銃は”リアル”ではないし、銃を構える意味を考えてほしいというものであったが、DABOは同年発表するアルバムでアンサーを返すことになる。
関連するDIS音源やイベントまとめ
MS CRU『帝都崩壊』:漢→DABO:2002年
DABO『HITMAN』:『WANNABEES CUP 2002』:DABO→漢:2002年
MSC(元MS CRU):『FREAKY風紀委員』:漢→DABO:2003年
DABO『DIAMOND』:『おそうしきFeat. 般若』:DABO→漢:2003年
キエるマキュウ『BIG SIT』:客演のDABO→漢:2003年
2004年、妄想族主催のイベントで初めてDABOと漢が対面し、漢が乱入フリースタイルするもDABOは特に何もしなかった(ただし歌っていたのは前述した『おそうしき』である)
漢『Take Candy from a baby』:漢→DABO:2005年
2012年、般若が間に入って和解を持ちかけた事で電話によって完全な和解が成立。
DABOはTwitter上で、漢に対してのメッセージを送っている
漢は多分彼にしかできないやり方で初めての体験をさせてくれたかけがいのないマイメンです。初めてのビーフがあいつでよかったと思う。今日のライブもアホみたいにドープだったZ!( •̀ .̫ •́ )✧
— DABO (@fudatzkee) 2012年7月28日
般若vsK DUB SHINE:2003年
前項で紹介した2003年のDABOのアルバムの中で楽曲『おそうしき 』に参加した般若はこの曲で痛烈にK DUB SHINEをDISしている。
渋谷のあの人『ありがとー』 取り巻きも生き恥だよー
ちなみに、この曲でよく”ZEEBRAに対しても般若はDISしているのではないか?”といった説があるが、管理人の考えではそれはない。
というよりも、まだ10代だった頃の般若(当時はYOSHI名義)がZIBBRAに送ったデモが思いっきりDIS曲であった事を笑いながらZEEBRA自身が振り返っている上に、ゴールデンマイクREMIXへの客演やFUTURE SHOCK(初代ではなくSHOCK TO THE FUTURE ’04)でもZEEBRAは般若をピックアップしている。
※余談ではあるが、この曲はめちゃくちゃカッコ良い。メンツもヤバイ・・・
ZEEBRA自身、この時期から般若に対してはかなり評価をしていた事もあり、前述したデモでのDISに対しては般若が冗談交じりに謝っている。
K DUB SHINE→KICK、RIP SLYME、SOUL’d OUTなど:2002年~
出典:https://www.youtube.com/watch?v=yz1mPjmgtb8
少しさかのぼるが、キングギドラとして2002年に復活した『公開処刑』ではZEEBRAがKJをDISしたのに対してK DUB SHINEはキックザカンクルーやリップスライムといったその当時頭角を出してきていた新興グループに対してDISしている。
また、2004年にはSOUL’d OUTに対してもDISをしている。
K DUB SHINEは徹底して日本語を主体としたラップ文化を主張しており、セルアウトなどにも特に敏感であることで有名でもある。
しかし、RHYMESTERの宇多丸に『自分のMC名は英語なのに』と冗談交じりに突っ込まれたこともあったりする。
関連する音源
キングギドラ『最終兵器』:『公開処刑』:K DUB SHINE→キックザカンクルー、リップスライム:2002年
K DUB SHINE『理由』:『なんでそんなに』:K DUB SHINE→SOUL’d OUT
BIGZAM→SOUL’d OUT:2004年
メジャーでデビューから活躍していたSOUL’d OUTに対してNITRO名義のアルバム『STRAIGHT FROM THE UNDERGROUND』の収録曲『STILL SHININ’』で
キモいぜ ウェカピポ ポップスター
というフレーズでDISをしている。
K DUB SHINEvsDEV LARGE:2004年~2013年
1996年の『さんぴんCAMP』において日本語ラップのリアルを追求した2人が、皮肉にも”日本語主義とバイリンガル派”という形でビーフに発展してしまう事になった。
発端は2004年、DEV LARGEが自身の名前を明かさずに『ULTIMATE LOVE SONG』という曲をweb上にアップロードした事と、同年にK DUB SHINEが発表したアルバム『理由』の中の楽曲『来たぜ』で
BUDDHA BRANDとのバトルは俺が完全に食った
というリリックを入れていた事が原因となったと言われている。
この『来たぜ』を聴いたDEV LARGEがアンサーとして『ULTIMATE LOVE SONG』を発表。
その後、6月のラジオ番組内でDEV LARGEが『ULTIMATE LOVE SONG』を流したことで本人の制作したものだということが発覚、K DUB SHINEは直後web上で『1 THREE SOME』にてアンサーを出す。
主張としては急にDISをしてきたDEV LARGEへの問いかけとソロアルバムを出さない事への批判であった。この後、DEV LARGEも『前略ケイダブ様』を発表し、険悪な関係のまま数年が経つことになる。
しかし、2013年、キエるマキュウのMAKI THE MAGICが逝去した事をキッカケに両者は和解を果たす。
その後、2015年にはDEV LARGEが急逝し、K DUB SHINEはTwitter上で追悼の意を表明した。
SEEDAvsVERBAL:2008年
引用元:http://amebreak.ameba.jp/interview
/2010/12/001837.html
前ページで触れた2000~前後には他にもビーフがあったが、最初に書いた通り全てを書くには長すぎるので、少し年代を飛ばして2008年へ。
SEEDAの4枚目のアルバムである名盤『花と雨』の中の楽曲『Sai Bai Men feat.OKI』のHOOK部分がTERIYAKI BOYSのアルバム『SIRIUS JAPANESE』の中に引用され、これに反応したSEEDAは『TERIYAKI BEEF』を発表。
この問題に対してはラジオでVERBALを呼んで実際に対面し、フリースタイルを仕掛けたがVERBALはフリースタイルはしないんだという発言のまま、DISの意図はなかった事だけを告げた。
番組内で、両者の意見は分かれたまま終わり、SEEDAの方から終結宣言をしている。
ただし、SEEDAは『Adrenalin』という楽曲で
格好だけならまだしも 言語障害のEnglisはかなりキワモノ
「エイヨ?ノーセンノーセン」分かったよ 神は君救えません
と、暗にクリスチャンであるVERBALをDISしている。
また同曲ではZEEBRAやNITRO、KREVA、SOUL’d OUTやJOKER(元ジャニーズの田中宛)を羅列している。
NORIKIYO→ZEEBRA:2013年
引用元:http://www.wenod.com
2011年に般若やDABO、MACCHOらとリリースした『Beats&Rhyme』でも一際異彩を放っていたNORIKIYOが2013年にリリースした4枚目のアルバム『花水木』に収録されているスキット『ただいま帰りました』と、そのまま流れる収録曲『Go Home』の中で、同年に開催されたイベントでの出来事をキッカケにZEEBRAをDISしている。
同曲で書かれたリリックの内容はZEEBRA自身も触れており、自身にイベント時の不手際があった事をTwitter上で認めている。
宇多丸vs般若vsK DUB SHINE:2015年
引用元:https://www.tbsradio.jp/utamaru/
2015年、般若がRHYMESTERの宇多丸に対して、般若が出演している映画を批評しなかったことに対してDISをする。(宇多丸は映画評論家としても活動している)
これに対して宇多丸はウィークエンド・シャッフルでアンサーを返していた。
この両者のDISに対してK DUB SHINEがTweetで触れたことをキッカケに12年ぶりに般若からK DUB SHINEへのDISがブログで発表されることになる。
翌日にはZEEBRAが主催する『SUMMER BOMB』に3人が揃って出演し、K DUB SHINEからアンサーが発表される。
般若→KREVA:2015年
2015年から今なお人気の高いフリースタイルダンジョンが始まり、同番組内で般若がKREVAに対して『フリースタイルダンジョンに出ろ』という発言をする。
このパフォーマンスは既に高い人気を博してした同番組ファンやフリースタイル好きな最近のHEADSを沸かせることになったが、KREVA自身はフリースタイルダンジョンへの出演は否定している。
これに関しては過去記事、【日本語ラップの歴史】vol.2.5でも触れているのでそちらを参照してほしい。
※ただし解釈はあくまでも管理人の個人的な意見です
練マザファッカーKNZZvs漢・a.k.a.GAMI:2016年
KNZZが2016年に発表したファースト・アルバム『Z』内の楽曲『THIS IS DIS! (feat. 敵刺)』で漢やMSCをDISする。
その後、KNZZの主催するイベントに漢が招かれて漢がアンサーソングを披露、暴力沙汰にも発展したが、後日和解した。
この対立構造で注目すべきなのはKNZZが所属する練マザファッカーの代表でもあるD.Oは鎖グループ、及びMSC代表の漢とは非常に仲が良いという点である。
構図だけ見れば若干謎の残るビーフにはなったが、フリースタイルダンジョンなどを機会に地上波での露出が多くなった漢に対してKNZZが何かしら思うことがあったのかもしれない。
KREVAvsOZROSAURUS
KREVAとOZROSAURUSに関しては度々楽曲でぶつかり合う事がある
ただし、お互い名指しでのビーフではなく、暗に匂わしているところがあるので決定的なビーフとは言えないかもしれないです。
日本人同士のビーフなどまとめ
これ以外にも日本人ラッパー同士のビーフ、DISは沢山あるが、最終的にはほとんどが和解している事が多い。
アメリカの東西抗争のようなビーフではなく、”意見の食い違いを曲で表している”のが日本語ラップでのビーフの特徴といえるかもしれない。
日本でのビーフ事件はここで紹介したように特に2000年以降から数年間が多い。
これはやはり2000年から一気に多様性をもった日本語ラップの進化の裏返しだと管理人的には感じる。
オマケ:シバターvs漢
YOUTUBERなる職業のプロレスラー『シバター』にコンタクトを持ちかけた漢が、適当にあしらわれたという事で、一部で炎上する事件があった。
純粋にHIPHOPやラップのファンである管理人から見ると、このような動画が不愉快極まりない。
漢に対して売名おじさんと表現しているが、漢は間違いなく今のフリースタイルBATTLE文化の道を作った1人であるし、HIPHOP業界でいえば文化的貢献度も計り知れない。
この炎上に関してはZEEBRAやD.Oまでもが触れているので、興味がある人は調べると面白いかもしれない。
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