【日本語ラップの歴史】vol.2.5 B-BOY PARKとKREVAが3連覇をしたMC BATTLE

もう挨拶めんどいーからの・・・わっさ!笑

さて、前回【日本語ラップの歴史】vol.2では

伝説の野外HIPHOPイベントであった【さんぴんCAMP】について触れてきた。

ここから一気に1999年のドラゴンアッシュの大ヒットまで話を進めても良いんだけど

2017年においてもMCBATTLEに注目がある中で、

元祖とBATTLEの大舞台と言っても良いB-BOY PARKは外せないという事でvol.2.5としてお届けしようと思う。

知っている人は多いかもしれないが、B-BOY PARKは良い意味でも悪い意味でも影響力の大きなイベントだった。

ちなみにB-BOY PARKの始まりはCRAZY Aが発起人となって1997年に初めて開催された横浜の野外HIPHOPイベントである。

このイベント最大の特徴といえば今は様々な大会が行われているMCBATTLEが1つの目玉だった。

このB-BOY PARKのMCBATTLEで未だに破られていない3連覇を達成したのが、

ちょうどKICK THE CAN CREW結成とBY PHAR THE DOPESTの活動をしていたKREVAだ。

※キック結成は1997年であり、バイパー・ザ・ドーペストの活動期間は~1998年くらい

KREVAのフリースタイル3連覇

引用元:http://www.kreva.biz

当時のB-BOY PARKは無名の新人やラッパー達が名前を売るには絶好のチャンスの場だった。

グループとしてはまだ1997年当時、キックはそこまで知名度が高かった訳でもないし、デビューシングルである『タカオニ』は多分売れてなかった。

もともと個別で活動していたKREVA、Little、MCU。

KREVAはB-BOY PARKで1999年から2001年までの3年間でトーナメント制のMCBATTLEで全ての相手に勝利し、未だに破られない3連覇という記録を打ち立てることになる。

出典:youtube.com

今は穏やかなイメージの強いKREVAだけど、当時はバリバリに尖っていた

もちろん若かったというのも1つだろうけど

ちなみにKREVAはこのB-BOYPARKのBATTLEにて当時審査員席にいた『さんぴんCAMP』のスター達だったジブさん達を相手にして強烈なDISを吐いて会場を沸かせている。

その後の活躍はラップをちょっとしか聴いたことがない人でも知っているだろう。

2004年のキックザカンクルー活動休止後はソロとしてデビューし、瞬く間にメジャーでチャートの常連になったのは周知の通り。

HIPHOPのソロアーティストとしては初のオリコンウィークリーチャート1位も2006年のアルバム『愛・自分博』で獲得し一気に知名度を上げた。

2017年にはキックザカンクルーとしても再復活を果たしており、最新アルバム『KICK』はもちろんTOMATOも購入したよ。

KREVAってフリースタイル上手いの?

最近の事件というか出来事を話題に上げるとフリースタイルダンジョンでモンスターを務める般若KREVAに『出てこい』と挑発する場面が放送されてものすごく盛り上がったよね。

肩書は前人未到の3連覇達成者であるKREVA

一方、当時はまだ妄想族として活動していた般若もフリースタイルには積極的に参加していたけれど、もう既にKREVAはメインでフリースタイルをやっていない=音源制作に注力している時期でもあった。

ぶっちゃけ1999年の優勝時のフリースタイルの実力で言えば、KREVAは他より圧倒的に語彙力があったという印象で、今のフリースタイルダンジョンのような流暢なスタイルでは戦っていなかった。

それに加えてKREVA自身は当時B-BOY PARKの観客から絶大な人気を誇っていた。

その後、2000年、2001年と優勝し、その頃にはちょっと押韻すると『KREVAスタイル』と揶揄されるほどフリースタイルBATTLEは混迷期を迎えていた。

※余談にはなるが、それを壊したのが2002年の優勝者である漢・a.k.a.GAMIだ。

今もモンスターの1人としてフリースタイルダンジョンに出ているよね※

さて肝心のKREVAのフリースタイルの実力を考えると、当時としては最強だったけれど

2017年においてはフリースタイルで天才的なパフォーマンスが出来るかどうかと言われればおそらく厳しい。あくまで個人的な予想だけど。

というのも、KREVAがフリースタイルをやっていた時代と今では環境があまりにも違いすぎるし、KREVA自身としては本家アメリカに倣ったような華麗なキャリアを作っている。

そもそも本来のMCBATTLEは無名の新人が自分のパフォーマンスを見せる、知ってもらう為に用意される場であって、メインストリームではないからだ。

※だからといってフリースタイルラップがメインのラッパーを否定している訳ではない。それだけは誓って宣言するし、TOMATOもフリースタイルダンジョンは大好きだ

話を戻す。

ようするに引き際の問題だと個人的には思う。

梅田サでガンガンBATTLEを重ねていた韻踏合組合のERONEもダンジョンでは基本的に審査員だし、今やフリースタイルラップの筆頭は同じく梅田サイファー発のR指定だろう。

過去にはFORKといった新しいスタイルがドンドン出てきているし、フリースタイルラップの技法も常に進化を続けている。

KREVAがどこかで『フリースタイルダンジョンには出ない』と言ったのは、老齢のボクシングチャンピオンが試合をしないと言うのと同じだと個人的には考える。

肝心のB-BOY PARKは衰退してしまうことに

ちょっとKREVA談義が長くなったけど、B-BOY PARKは2017年現在でも開催はされているが、KREVAや漢が参加していた頃から言えばフリースタイルラップの大舞台からは少し遠ざかっているような気もする。

もちろん規模が大きい大会であるということや歴史があるイベントではあるものの、2003年に起きた漢の準決勝時の事件や2004年の中止によってBATTLE部門は縮小傾向にある。

それでも輪入道ACEスナフキンなど実力のあるフリースタイルラッパーは参加しているし、イベントそのものが終わってしまった訳ではない。

ちなみに2011年にPONYが優勝した時にはKREVAがサプライズゲスト出演をしてステージで短いフリースタイルを披露している。

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